もっと微妙なコミュニケーションを

ラオケ・オンチの人がいるのも事実です。つまり、生の伴奏ならほとんど問題がないのに、

カラオケになるとぜんぜん歌えなくなってしまう人たちも多いのです。

これは私個人の考えですが、もしかすると、自分の感性で自分の力量を表現してみようとする

考え方が、カラオケにはまるで通用しないためなのではないでしょうか。一時的なキーの操作や

エコーの操作などではぜんぜん解決しきれないような、もっと微妙な何かが「歌う」という行為の中

に含まれているような気がします。

本来なら少しでも歌のキーを変え、調を変えたらそれにともなって強弱やテンポや表現のニュア

ンス等の変化が生まれてくるはずです。もちろんカラオケはそんな微妙な変化には対応しません。

音楽をするということの魅力のひとつは、実はそうした微妙な色合いの変化を通じて自分なりの

感性を作っていくことなのです。模倣はマネではない、自分の音楽・感動をさがしだすことです。

そこには、歌と伴奏の微妙なコミュニケーションが必要です。これは、今のカラオケには無理な

ことでしょう。


やはり、「歌とは、自分の感じたままをひたすら自分の感性で表現するもの。自分の想いを自分の

方法、自分の歌声、自分の精一杯の力で表してみるもの。」いわゆる「カラオケ」で歌うこととは、

正反対のところにあると思います。

この世にたったひとつしかない自分の楽器「声」を使って、今現在の自分の力量と自分の言葉で、

自分の好きな曲を精一杯伝えようとするところに、歌うことの本当の素晴らしさがある…という

ことをもう一度考えてみてください。

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